東海道を走る<序>

 

 

 午前四時半の三ノ宮駅のホームは閑散としていた。大阪方面にしろ、姫路方面にしろ、一つのドアに人が一人いるかという具合で、まるで墨汁で塗り潰されたかのような夜明け前の空が、これに拍車をかけていた。
 私は一人で暇だったので、輪行袋を内から張り裂かんばかりの自転車のタイヤを抓み、指に力を入れたり抜いたりして遊んでいた。常ならばスマートフォンの電源を入れて、SNSで退屈を紛らわしているところだが、これからのことを考えるとそうはいかなかった。
 その日は少なくとも、京都県の三条大橋から三重県四日市宿まで、自転車と、スマートフォンの地図アプリと、この体と心を頼りに走らねばならなかったからだ。もしうまくいけば愛知県の宮宿まで行こうと思っていた。よって、三ノ宮駅のホームでムダに消費できる電池は一パーセントもなかった。

 

 この旅の目的は、東海道五十三次ロードバイクで走りきることである。
 なぜ東海道を自転車で走るのかと、ある種の根源的な問いをする人は多い。この質問のニュアンスには、危険な、奇妙な、何の得もなさそうな、がおおむね含まれているが、そう聞かれると私は非常に困ってしまう。なにしろ、そういう根源的な動機の記憶は全くと言っていいほどないからだ。
 この旅の四年前に、母と叔母に旅について話したことが最古の記憶であり、これ以前にあれこれと考えた記憶はないが、そのときに思い付いたことではない、おそらく。 
 だから、先の問いに対する答えは次のようになる。「過去の自分の発言をウソにしないために」走る、と。

 

 また、自転車旅はテントで野宿をするんだろうとか、多くの備えをすべきだと助言をくださる人も多い。しかし、この旅の荷物は自転車と、リュックサック一つ分で済む。
 リュックサックの中身は、ヘルメット、六角レンチ、チェーンロック、チェーン用の潤滑油、行動食、水、お金、スマートフォン、健康保険証、五日分の下着、パジャマ、歯ブラシ、ひげ剃りだけだ。
 意外に多いことに書き出してみると気付いたが、海外への旅に必要なものと比べれば遥かに少ない。替えの服に困ったら旅先で買えばいいし、空気入れも、替えのタイヤチューブも、パンク修理キットも必要ない。テントを始めとするキャンプグッズも不要だ。
 もちろん、これらはあるに越したことはないが、なくても問題ないし実際に何とかなった。私の持論でしかないが、これらはただ荷物を重くしてペースを遅くするだけだ、ただし東海道に限るが。  
 そしてこれは、あくまで男の体と心を持っている私の場合で、どちらも女となると勝手が違ってくるのかもしれないし、どちらにも当てはまらない場合も違うのかもしれない、と注釈を付けておく。

 

 ところで勘の良い読者様がお察しの通り、私は三ノ宮駅から京都駅は電車で、そこからは日本橋まで数日かけて自転車で走ることにしたわけであるが、実は私の出身地は兵庫県ではなく東京都であったりする。
 京都駅からの旅の前日に、私は東京都から自転車を伴って兵庫県へと行った。その日には父の実家の家族と会う約束があり、これを確実に守るためだった。

 

 ここで余談だが、旅行の前日について振り返る。
 まず三ノ宮駅近くのカプセル・ホテルに行き、輪行袋に包まれた自転車を預けると(新神戸駅から徒歩で運んだが、持ちづらいし重いしで肩が痛んだ)夕方になるまで観光をした。
 その際に『三宮一貫楼』で豚まん、叉焼まん、ピリパオを一個ずつ食したが、生地はモチモチと弾力があり、具はぎっしりと詰まっていて素晴らしかった。特に叉焼まんは私好みで、これだけのために毎月行ってもよいと思えるくらいだった。

 祖父母家族とは夜に対面し、それからは酔っぱらった父に連れ添って(連れ回されて)街を歩いた。そしてホテルに着いてからはシャワーに入ったが、酔った父がサウナの中で意識朦朧としていたことには焦り、慌てて着替え室へと連れ出した。あの死にかけのカエルのような、とろんとした眼は忘れられない。
 父を父のカプセルまで送った後は、私は私のカプセルに入って横になった。そして、明日の時刻表と、三ノ宮駅から京都駅の通常の混雑状況を調べた。
 結論としては、午前五時までに起きたときは、すぐにチェックアウトして駅に向かい、それ以降に起きてしまったら、通勤ラッシュが終わる午前一〇時頃まではホテル周辺にいる、というものだった。混雑時に自転車の容積は邪魔でしかないだろう。

 更に余談だが、人生初のカプセル・ホテルは人のいびきが凄まじく、容易に眠りにつくことができなかった。
 カプセルに入ったのは午後一〇時前だったが、寝ることができたのは午前二時前である。五時間は寝られるだろうという目算は見事に狂わされた。
 スマートフォンで調べものを終えてから三〇分は頑張って寝ようと試みていたが、しばらくすると諦めてイヤホンでドイツ語の『魔笛』を延々と聞いていた。モノスタトスがザラストロに七七回の鞭打ちの刑を受けたところで意識が遠のいた気がする。